2019.03.01
熊本県は阿蘇山に行ってきました。

阿蘇山へ行ってから、ずっと哀しい。
地球の。
大地の。
悲鳴に胸が苦しくなる。
写真を撮ってもらったときも
泣きたくて、たまらなかった。
人間ほど無知で愚かなものはない。
人間のいう「神」とは
そもそも古の人々が、自然にも魂があり
その自然、大地、地球を敬い奉ったことが始まりで
神の名前も人間が勝手に付けたものである。
本来、神に名などない。
紀元前より生きてきた私の中の
古い古い魂の記憶を辿ると
人間の数など、数えられるほどしか存在せず
樹々も動物も今より、はるかに大きく生い茂り
食物連鎖がしっかりと形成されていた。
川も川ではなく河であり
太く長く、その質量は清く大きく美しかった。
それを人間が踏み荒らし
足元にあるものを
敬うことはなくなった。
利便性と機能性ばかりを求め
文明は発達したが
心は退化し
努力もせず、困ったときの神頼みとは
なんと浅ましき醜き生物。
次元上昇=アセンションなどと騒がれる中で
本来であれば目を向けなければならない処から
目を背けているのは何故だ。
人間が増え。
争いを繰り返し。
敬うことを忘れ。
大地を殺す。
大地が死ねば、人間も死ぬ。
自然を焼くな。
自然を汚すな。
自然を埋めるな。
神は「上」にいるのではない。
神は「上下」にも「縦横」にもいる。
人間ではない総てのものに
神は宿り
人間の心に内在している。
人間が
感謝も敬いも慎しみも忘れたとき。
それが塵となり積もるとき
人災が天災に換わる。
旅行の最後の最後で
阿蘇山を訪れた。
怒りを通り越し
耳に残るほどの悲鳴が
今も続いていた。
人間ができることは何か。
貴方ができることは何か。
今一度、考えてほしい。
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